高月駅
目的地の温泉は、ここ長浜駅ではなく、さらに北陸本線で3駅北上した高月駅が最寄りで、そこからさらに少し歩く。
このひと行程をこなすため、先ほどは十分な腹ごしらえをしておく必要があったのだ。
タイミングを見計らって店を出てきたため、それほど待たずして電車がやってきた。
もう随分夜遅いが、1時間に1本は電車の運行本数が維持されているのはありがたいことだ。
高月駅に降り立つと、周囲には住宅地と田畑が広がっていた。長浜駅のざわめきは、すでに遠いものとなり、走り去る車のタイヤが立てる摩擦音だけが、夜を満たしている。
僕はスマートフォンに表示した地図を頼りに、国道8号線沿いに北へ歩き始めた。
住宅街はすでに眠りに落ち、深夜営業の店の明かりが、暗闇の中で松明のように煌々と輝いている。
空は暗く、目を凝らせば星が見えた。
見知らぬ土地の夜をたった一人歩く。そこにはスリルと奇妙な高揚感がある。
畦道
途中で大きな道から外れ、農道のような細い道へと入った。田んぼの畦道のようだ。舗装はされておらず、足元はぬかるんでいる。
街灯は一本もなく、さきほどまでは僕の行く先を照らしていた街明かりは、蜃気楼のようにぼんやりとして存在感を失っている。
足元は暗い。まるで闇に溶けてしまったかのようだ。
僕は何度も泥に足を取られながら、ひたすら歩いた。スマートフォンの明かりはなんとも頼りなかった。
目的地の明かりは確かに見えている。だが、歩けども歩けども距離が縮まらない。
「幻でも見ているのだろうか…」という思いが頭をもたげもした。
だが、もはや無心で歩き続けるうち、やがてたどり着いた。
煌々と照明に浮かび上がる看板の下に立ったとき、僕はようやく異様な精神状態から解放され、安堵の息をついた。
『北近江の湯』
今回訪れたのは、『北近江リゾート 天然温泉 北近江の湯』だ。
リゾートと名につくが、実際の雰囲気はむしろ庶民的で親しみやすい。
広い駐車場に停められている車は、大半が近隣住民のものだろう。「家族でちょっとお風呂でも入りに行こうか」という需要を満たす施設なのだ。
『北近江の湯』は温泉施設だが、宿泊用の部屋も備えていることを事前の調べで把握していた。ただし人気が高く、前もって予約しておくのが無難、という情報も同時に得ていた。
一応、受付で宿泊できますかと尋ねてみたが、案の定満員だった。もっとも、これは織り込み済みだ。
というのも、「北近江の湯」にはマンガの読めるラウンジがあるのだ。れも事前に得ていた情報のひとつだ。そこで好きなだけマンガを読み漁り、疲れたら仮眠を取る――そんな風にきままに一夜を過ごすというのが、当初からの目論見であった。
連休の始まりに相応しい、楽しい夜になりそうだ。この時点で、朝まで感じていた疲労感はほとんど忘れかけていた。
胸の高鳴りを抑えながら、努めて落ち着き払い、入館手続きを進めることに専念した。喜ぶにはまだ早い。
だが実際のところ、館内の説明を聞く間も、意識の大半は「どんなマンガが置いてあるのかしら」という期待に占められていた。「かっこ良いですね」と、支払いに使ったJ-WESTカードのデザインを受付の方に褒められたことも、高揚した気分を後押しした。

立て看板
ところが、勇んで入室した広間で、想定外の現実に直面することとなった。目当てのラウンジに続くと思しき階段が、立て看板の仁王立ちによって閉ざされていたのだ。
曰く、新型コロナウイルスのことがあって以来ラウンジの利用を停止している、とのことだ。
「なにかの間違いでは?」
看板を目にした瞬間、そう思った。「看板を撤去し忘れているのだ、そうに違いない」と、他にラウンジへと続く経路がないか探した。もちろん、それは徒労に終わった。
立て看板の文面に誤りはない。数秒のうちにその事実が僕の中にじわじわと定着していった。そしてそれ従って、僕の内心は動揺から、遺憾の念に移り変わっていった。
「せっかくここまでやってきたのに…」という思いが、心の奥底で何度もこだまする。ラウンジが利用できないと分かると、先ほど支払った利用料金も、途端に割高に思えてくる。
「最近はもう、コロナもだいぶ落ち着いてきたのでは――」と反駁したい気持ちにも駆られた。しかしすぐに、施設の方針に逆らうような真似はすべきでないと思い直した。むしろ頑張って営業してくれていることをありがたいと思わなければ…。
さらに数秒が経ち、僕はようやく諦めの境地に至った。そして同時に(あるいは仮初の)平静を取り戻しつつあった。
とはいえ、ここにきて今夜の宿の当てを失ってしまったという現実が消えるわけではなかった。一体どうするべきか…。僕は宿泊のための荷物を詰め込んだザックを背負ったまま大広間に立ち尽くし、黙考に耽った(あるいは呆然としていた)。だが、妙案は浮かんでこなかった。
……とにかく風呂に入ろう。風呂に入りながら次の一手を考えようではないか。温まって血の巡りが良くなれば、何かしらの手段を思いつくはずだ。
そう結論するまでには、しばらくの時間を要した。
宿難民
僕は脱衣所に向かった。
日帰り入浴の客はすでに引き上げていく時間帯であり、浴場に向かう人よりも、湯上がりの様子で引き上げてくる人の方が多かった。
これならば、湯船で今晩の過ごし方をじっくりと吟味できそうだ。先ほどはずいぶん慌てたが、開き直って温泉を楽しもうという余裕も出てきていた。
湯はややぬるめだった。色々あったせいで疲弊した脳みそに染み込んでくるような優しさだ。
せっかくだから露天風呂にも足を運んだ。戸を開けると強い風吹き、山の匂いを運んできた。
僕は仰向けに寝そべり、ぐったりと脱力した姿勢で湯に浸かった。
空は歩いてきたときよりも曇っており、星は見えなかった。そのことが惜しいような気もしたし、そのままで良いような気もした。僕はこの後のことををぼんやりと考え始めた。
とはいえ、今さら別のビジネスホテルを探して取り直すことは選択肢になかった。この時間から予約のできるホテルは稀だろうし、見つかったとしても移動が億劫すぎる。
冷静になってみれば、取り得る選択肢ははじめから一つしか無かったのだ。つまり、大広間で雑魚寝することだ。
スラングで、「〇〇を失った人」、あるいは「〇〇を手に入れられない人」のことを「〇〇難民」と呼ぶ。今夜の僕はいわば”宿難民”というわけだ。だが、この施設内にいる限り、雨風はしのげるし、空調は効いているし、おまけにテレビもある。こんな贅沢な難民が他にいるだろうか。
考えるべきことがあるとすれば、布団が無い状態で快適にきちんと寝られるかどうか、もし寝られなかったら暇つぶしはどうするか――それだけだった。
マンガとパリ五輪
大広間にはいくつかのテレビが配置されていた。それぞれに鑑賞用のスペースが区切られており、ソファやクッションが配置されている。
入浴を終えた僕は、そのうちの一角を確保した。ここをキャンプ地とする。
周囲を伺うと、思っていたよりも人の姿が残っていた。彼らも僕と同様、大広間で一夜を過ごすつもりなのだろう(もちろん僕のように予定外で、ということはないだろうが)。
これだけの人が泊まるなら、大部屋での雑魚寝をするにしても、寝るのに大変な苦労をするということは無いだろう。僕はひとまず安心した。
しかし寝るにはまだ早い。ここから巻き返しを図る。つまり、マンガを読むという当初の目的を達成するのだ。
僕は『呪術廻戦』の電子版を、5巻分まとめて購入した。持参していたタブレットにダウンロードする。
前々から読みたかった…というわけではなかったが、流行りのものを一応は押さえておこうという考えで選択した。
物語の序盤は読んだことがあったが、設定を思い出すために最初から読んだ。これは最低限の僕なりのマンガに対する敬意だ。眠気を誘うために読む――という暇つぶしの側面を否定することはできないとしても、だ。
感想としては、以前にも感じたことだがが、やはり『BLEACH』に読み味が似すぎてる気がする。だから悪いとか価値がないとか言いたいわけではないが、僕にとって楽しめるかというと、そうではなかったということだ。おそらく順番の問題はあって、もし逆であれば感じ方は大きく違っていたかもしれない。
マンガを読み疲れたらテレビを見た。オリンピック期間中だったため、見るものには困らない。
チャンネルを回していると、偶然にも卓球の女子団体戦決勝(日本対中国)が放送されていた。
相変わらず中国の実力は圧巻で、日本を応援する立場からすれば高い壁を感じるものだった。だが、選手たちはそれぞれがとても健闘していて、負けはしたが、見られて良かったと思える充実した内容だった。
試合終了後、『呪術廻戦』の残りをすべて読み終え、寝支度をした。空調の効きが程よく、幸いにも眠りにつくのに苦労することはなかった。
早朝4時、僕はバスケットボール男子決勝を見るために目を覚ました。
カードはアメリカ対フランス。開催国フランスは日本が予選リーグで惜敗した相手でもある。
バスケ最強国アメリカに対し、フランスはよく食らいつき、試合は終盤までもつれた。最終盤、アメリカリードだが、余談を許さない点差となった。
僕は片時も目を離すまいと思った。だが不思議なことに、そう思えば思うほど逆に目蓋は重くなっていく…。
はっと気がついたときには、試合は決まっていた。
興奮する実況の伝えるところから察するに、最後の最後でステフィン・カリーが連続で3ポイントシュートを決め、勝負の行方を決定づけたようだった。
そう言われてみれば、そんなシーンを見た気もする。だがそれは、まどろみの中に浮かんでは消えた夢の一場面のようで、確かな記憶とは呼びがたいものだった。
覚醒と眠りの間の曖昧な意識は、視覚が送り込んだそれらの情報を、ほとんど取りこぼしてしまったようだった。
貴重なシーンを見逃したという悔しさは湧いてこなかった。今の僕が抱くには激しすぎる感情だ。
僕は「結局お前かい……」という平板なツッコミを心の中でつぶやき、再びまどろみの中へ沈んでいったのだった。