花巻空港からバスと鉄道を乗り継ぎ、花巻駅に着いた。 いったんホテルにチェックインして部屋に荷物を置き、身軽な状態になってから夕食に繰り出す。
勇気と空腹
再び花巻駅に戻ってきた。駅の周辺には店がいくつかあったが、いずれも地元客向けの居酒屋といった風情で、どうも入りづらい。 もっと他に選択肢はないものかと、それなりの時間をかけて周辺を歩き回ってみたが、結局見つからなかった。 僕は勇気を出して(あるいは空腹に背中を押されて)「花巻食堂」の暖簾をくぐった。
持たざる者
店内は、外観の印象に反して、思いのほか新しく、綺麗だった。 その様子に、僕は若干の肩透かしを食らった。 せっかく勇気を出して入ったのだから、もっとディープな——悪く言えば、不潔でない程度に小汚い店であっても良かったのに、というけしからぬ考えを抱いたのだ。
仮にもし、入ったのが本当にそのような店であったなら、岩手弁が飛び交い、地元の酒と共にフランクなコミュニケーションがなされる場に混じり、この上なく「濃い」経験をすることができたかもしれない。
だが一方で、そうした空気にあてられ、言うなれば中毒のような状態に陥っていたかもしれない。 そうなると、時間を経るごとに気分は落ち着かなくなり、緊張から食欲も失せる。結局、十分に食事を楽しむことはできず、早々に退店する…そんな目に遭う可能性もあった。
地方の居酒屋において、その場の空気に馴染むためには、ある種の技能が必要となる。僕は未熟の身にして、それを持ち合わせていなかった(あるいは、こういうのは才能であって、この先も身につくことはないのかもしれない)。
そう思えば、この花巻食堂は、地元の雰囲気をほどよく残しつつも、新参者を受け入れる「清潔さ」も兼ね備えていた。 結果として、僕にとってはちょうど良い選択だった。
タブレット
店内の座敷席では、地元客と思しきグループが賑やかに酒を酌み交わしていた。 僕はその様子を横目に、案内に従って進んだ。通されたのは奥まった位置にあるカウンター席だった。 店内の喧騒から隔離され、疎外感を感じなくはない。 けれども逆に、これはこれで落ち着くな、と思う自分もいる。 もしかしたら、お一人様はこの席に通す決まりになっているのかもしれない、とも思った。
注文はタブレットを操作して行う方式だった。 せっかくローカルな店に来ているのに、注文のときすら店の人とコミュニケーションを取る機会がないというのは、なんだか味気ないという気もする。 まあしかし、便利だし、楽なことは楽だ。
イージーモード
メニューには花巻のブランド豚である白金豚をはじめ、地場の食材が使われているものが取り揃えられていた。見ているだけで期待が高まる。旅先では不足しがちな野菜のメニューが充実していたのも嬉しかった。
僕は気になったメニュー数種と、飲み物を注文した。 正確には思い出せないが、串カツとカキフライ、漬物を中心にドリンク(確かウーロン茶、あるいは水割り)を飲み、茶漬けで締めた。
居酒屋の料理というのは、基本的に複数人で取り分けることを前提としている。そのため一人ではあまり多くを頼めず、組み立てに悩まされることが多い。(井之頭五郎はよく失敗する。) そんな中、今回は割りかしバランスよく良くまとめられた。味にも満足した。
僕は程よい満足感を感じながら店を出た。なんだかんだ言って、店選び、メニュー選びと、旅の最初のミッションは上々の首尾を得られたのではないだろうか。
もっとも、あらためて振り返ると、幅広い客層が楽しみやすいような配慮が行き届いていて、良く言えば「安心・安全」、悪く言えば「補助輪付き」の店でもあったように思う。 ゲームに例えるならば、イージーモードだったのかもしれない。
