引き続き、小浜線に乗って東舞鶴駅まで来た。
西舞鶴と東舞鶴
舞鶴市は「西舞鶴」と「東舞鶴」の2つのエリアに分かれており、観光地としての性格がそれぞれ異なる。
西舞鶴は、田辺城跡を中心としたかつての城下町で、江戸時代の風情を漂わせている。
対して、今回訪れた東舞鶴エリアは、明治時代以降に軍港として発展した土地であり、その記憶をいまに伝える建造物が多く残っている。
なかでも観光の中心となる「舞鶴赤れんがパーク」は、軍需品の倉庫として建てられた赤れんが建築を再活用した複合施設となっている。
中舞鶴線と北吸トンネル
東舞鶴駅から舞鶴赤れんがパークまでは、徒歩で向かうことにしていた。実はこれが、今回の下車の“隠れた目的”でもあった。
実は赤れんがパークへと続く遊歩道は、かつて実際に使われていた「中舞鶴線」の廃線跡を転用して整備されたものなのだ。この路線跡を歩いてみたいというのが、今回の下車を決めた大きな理由だった。
中舞鶴線は、舞鶴鎮守府へ兵員や軍需物資を輸送する目的で敷かれた鉄路で、1919年(大正8)に開業した。戦後もしばらくは活躍を続けたが、やがてその役目を終え、1972年(昭和47年)に廃止された。
僕自身はいわゆる“廃線ファン”というほどではない。だが、廃線跡はなんとなく好きで、存在を知ると歩いてみたくなる。
今回にしても、あまり色々見て回れる時間はなかったから、とりあえずこの路線跡だけでも歩けたら良い、と思っていた。
赤レンガ倉庫はおまけ程度にちょっと覗いておいて、気になるようなら機会をあらためてまた来ようと思っていたのだった。
廃線跡というのは、壮大な時代のロマンを感じさせる言葉の響きと比べて、実物を見てみるとそれほど目覚ましいものではない。大半の人にとって物足りなさを感じるものだろう。
だが、僕にとって(あるいは熱烈な廃線ファンにとって)はそうではない。
一見普通の道のように見えて、その道幅やカーブの曲率には、かつて鉄道路線として活躍していた頃の遺伝子が確かに引き継がれている。
それを目のあたりにできるだけでも、僕にとっては十分に感慨を覚えうるものなのだ。
遊歩道は途中、北吸(きたすい)トンネルを潜る。力強さを感じさせるレンガ積みで、内部のランプには臙脂色の光が灯っている。
古いトンネルというのも、心惹かれるものがある。
トンネルの中というのは、暗い。その暗さが、普段なら意識することのない、恐れへの感覚を刺激する。
闇への恐れは、直接触れることのできない、その土地の歴史への追想を、僕達に促す。

舞鶴赤れんがパークとレトルトカレー
舞鶴赤レンガパークに到着したときには、すでに人の波が引いていく時間帯となっていた。
僕は観光地にあらかじめ用意されている「見るべきもの」に執着することなく、あくまで気の赴くまま、自由に歩いて回った。
赤レンガの建物は思いの外迫力があり、素直に感心した。自衛隊のものと思しき船も撮影した。
時間が限られていたことで、かえって開き直ることができ、それが良かったのかもしれない。十分に楽しい思いをした。
気が済むまで見終えた後、売店に寄ってお土産を探した。これが観光客らしい唯一の振る舞いだったかもしれない。
そこではレトルトカレーを買った。軍港都市(舞鶴の他に、横須賀、呉、佐世保)を訪れたら定番の土産だ。
カレーは後々自宅でいただいた。結構美味しかったので、機会があればまた買うと思う。

